自由を手に入れているつもりだった

今話題になってる森友学園の運動会での選手宣誓は恐ろしい。よくこれまで問題にならなかったと誰もが思っているだろう。今回の事が無ければ明るみに出なかったと考えると、そこに子供を預けてる親も僕から見たらどうかしてる。考える事を放棄しているのか、それとも賛同しているから良いと思っているのか。信仰の自由はあるからどういう考えを持とうが良いけれど、このケースから色々考える事は多い。小さい頃の教育が重要だという事は誰しもが納得している事なのだから、どういう教育環境で育つかはその子の考え方のベースとなるもの。家庭環境も大事だけど、外の環境も大事。これ以上に外の環境選びに苦労する世であって欲しくないと思う。
心と身体の自由を手に入れる事に苦労する社会はもうとっくに目の前にあったのではないか?それに気付かないで進んできたけれど、よく考えると、色々縛られてきたと思う。社会の目、メディア、教育…等。縛られる事で安心する年齢はとうに過ぎたから、自らの行動により自由を掴みに行こうと思う。

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