全否定は無い

ヨガにおいて競う事はタブーとされる。競い合う事は、自分の内側よりも外側に意識が向いているから、内側への集中が出来てない状態になる。内側への意識は自分の身体がどのように今有るかという事を理解する力、つまり内的認識力をつける為への意識。内的認識力を高める事により身体を知る事で、同時に心も整えられるという様にリンクしていく。内的認識力を高める事は、怪我をしない為の身体使いや、心身が健全で有る為に必要だと思う。けれど、競う事もまた、一部において必要だと思っている。
「あの人の様に出来る様に成りたい」「あの人よりも早く出来る様になるぞ」という心が自然と生まれてくるのならば、それを抑える事は、寧ろ不自然だと思うし、その気持ちを自分のヤル気に転化すれば、気持ち自体は決してヨガにおいて悪い心とは思わない。ヨガは日常生活とリンクするものであるから、社会生活においても否定されるべきものでは無いと思う。過当な競争は争いを生み出しうると思うが、切磋琢磨を生みうる競争意識は助長されて然りだと思う。現日本は資本主義社会による競争原理で基本成り立っているにも関わらず、競争を悪と見たがる風潮もある。そう見たがるのであれば、資本主義社会自体も悪であるのだから、違う社会への転換が急務だと思う。
僕が今自分として目指す所は、ヨガでどんな状況下においても、自分に合った緩めた身体使いが出来るようになる事。それが結果的に心や生活において、これまでとは違う変化を生み出してくれると期待している。競争は必要。それは、動機付けとして働かせ、後は内的認識力を高める為に個々人が自分を知ろうと内へ意識を向けていけば良い。

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