絶対的な正しさ?

僕はアーサナが恰好良く出来るようになりたいし、どうしたらそこに近づけるかという事を日々探っている。だけど、恰好良さを求めると子供みたいだとか、それは本来のヨガではないとか批判を受ける事もある。だけど、ヨガとはどういうものなのかというのはそれぞれ感じたままで良いと思ってるし、正解がこれだからといって押し付ける事も変。決められた道や解釈から外れてくると、その道へ行けとばかりに横やりが入るが、そんな事いちいち気にしていたら思う存分遊べなくなる。人間がどうあるべきかとか、どう生きていくかとか昔から考えられてきたけれど、結局いろんな考えがあるだけで、正解ってこれですって言えるものはない。だったら、自分が思ったように自分の事や周りの事を決めて進もうとした結果がどう表れていても、それを悪いと思えない。僕は僕が感じるままのヨガを伝える事をしたいから、アーサナに今は特化している事を批判されても、そんな事気にしない。第一、恰好良さというものは自然と人間が美しいと感じる心や絵画を見て素晴らしいと感動する心のように、理由なんてない。恰好良いと多くの人が心で思うようなアーサナを目指す事はむしろ芸術性を追い求めるものに近いとさえ思う。アーサナだけがヨガではないと思うけれど、僕にとってのヨガは恰好良さをきっかけとして進んできた。これから目指す所も師匠や仲間達と恰好良く遊ぶことを前提として進んでいくつもり。そこに普遍性は持たせずに。

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