嘘をつく事

嘘をつく事の是非については、度々いろんな人が述べている。僕は良い嘘もあると思っている。

相手の事を考えて嘘をつく事でも嘘をつかれた当人からは、正直に言って欲しかったという事を言われるが、正直に言って起こりうる事や相手がそれを知ってしまったが為にどういう事になるかを考えた上で僕は嘘をつく。ただし、瞬時の嘘はそこまで深く掘り下げないうちにつく事が多いから、後で後悔する事もあるのだが、嘘をつく事の前提としては相手の事を考えての事。そこは間違いない。だから、正しい嘘もある事を主張するわけではない。嘘は嫌だと嘘をつく事自体を毛嫌いする人の多くは、嘘をつかない自分を正当化し過ぎてるように思う。恋人関係にある者同士で「嘘は止めようね。」なんて事を言ったりする。私は嘘をつかれる事も嫌だし嘘は言わない正直者だ、だから嘘をつかない私の言動は誤りではない。私が嘘をつかなくて正直に言った事は正しいのと主張されても、僕はNO-!言った事の内容は正しいとは思うけれど、正直に言った事の背景にはただ単に事実を言っただけだという位しかなく、嘘をつく人が正直に言うべきか一瞬でも悩んだり、嘘の分量を加減したりなんかする事って、何かしら相手の事を想ってという事だという事実があるから。嘘をつく事は良い事と安直に結び付けてるのではなく、嘘をつくのには失敗も成功もあるんだけれど、それを学びながら嘘をついていく事は必要だと言いたい。「正直者が馬鹿を見る」のはおかしいのか?上手に立ち回る嘘つきが世の中得をするのか。正直者が称賛され、嘘つきが冷遇されがちな世の中は、嘘つきの発する優しさに気付けないでいるだけの事もきっとある。

 

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

コメントを残す